子どもの顔を見て「いってらっしゃい!」を言っていますか?

「いってきます!」 

「いってらっしゃい!」

毎日繰り返される朝のあいさつ。

毎日のことだから時折、言葉だけを言って、子どもの顔を見ずに送り出してしまう日もあります。

だけど、今回のような大きな地震だったり、車が登校中の子どもの列に突っ込むような事故のニュースを聞くたびに思うんです。

「ただいま!」

と必ず無事に帰ってくるわけではないということを。

顔を見なかった日に何か起こってしまったら私は必ず後悔してしまうと思います。

「どうしてあの時に限ってちゃんと顔を見て送りださなかったんだろう」って。

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「あたりまえ」の反対語は「ありがたい」

当たり前の反対語は何かな?と聞くと意外と「分からない…」という答えが返ってきます。

「あたりまえじゃない」なんて答えも(笑)

仏教の世界では「あたりまえ」の反対語は「ありがたい」なんです。

ありがたいを漢字で書くと「有り難い」。

つまり、有ることが難しいということ。

毎日を送る中でつい忘れがちだけれど、普段の生活は当たり前なんかじゃないですよね。

ごはんを食べること。

お風呂に入ること。

暖かい布団で眠ること。

時間通りに電車や飛行機に乗って移動すること。

家族がいつも側にいてくれること。

繰り返される日常の中にいると、次の日も同じ日が来ると勘違いしてしまいます。

ですが、ひとたび、今回のような大地震が起こるとその普段が一変してしまいます。

今まで当たり前と思って過ごしてきた日々は特別な日だったのだということにそのときに気づかされるのです。

全ての物事は「有り難し」=「あることは難しい」=「いつもあることではない」ということなんです。

「当たり前」として毎日を過ごすと、日常の中にあるしあわせに気づかずにいることも多いです。

私もその1人。

子どもたちが側にいてくれることが当たり前になってしまっているから、朝の「いってらっしゃい!」もなあなあになっていました。

今日だって朝早くに出た娘を声だけで送り出してしまいました。

その後に起こった今回の大阪地震。

ふるえました。

そして、今日の夕方には娘の通う学校区内で不審者情報が。

何事もなく無事に帰ってきてくれてありがとう。

「いつも」は「いつもじゃない」。

有り難い日々を送らせてもらっているんだなぁと思わされた私なのです。

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